今日、お隣の惑星:火星が地球に最接近するらしい。
今月に入ってから何度もその姿に驚かされたり心奪われたりしている。
火星は、闘いの星。
みんな何かと激しく戦っている。
8/10の夜空
『役割期待』というコトバがある。
みんなが何らかの役割を果たすべく人生を演じている。
周囲にそれらしい配役を探し、自分思い描くイメージにそれぞれを当てはめたがる。
役割を演じきれると達成感がある。
でも、往々にして在るギャップを埋めるのに神経をすり減らしストレスを生む。
バカバカしい!
大きなお世話である!!
私は子供の頃からこの演技が多少得意であった。
日常生活では、年子の兄を見て既に学習&経験済みのことが多いので
あまり『ワカラナイコト』に出会わず、器用にこなせる。
スパルタに感化された親をやり過ごすため、怒られるような馬鹿な真似は
はじめから行わない。選ばない。
学校の成績はまんべんなく優秀。品行方正。
イヤイヤではあっても、必要に迫られお手伝いに勤しむ。
将来の夢:特になし。
でも17歳の冬、その矛盾や歪みに耐えられず、リタイヤした。
親や周囲の思い描く『私』像と、自分の中に仮死状態にされた『私』が
別物になりかけていたのだろう。
交通事故に遇ったショックなどもあり、私は自分探しを始めた。
でも17年もかけて日々作り上げられた自分像は厚く、本当に何がしたいのか
自分でもよく分からない。とにかく『今の私じゃないヒト』になりたかった。
役者(演者)を志したのは、それがきっかけ。
なんとか滑り込んだ短大は、なりたいモノではなく、好きかもしれないモノに
近い学科=保育・幼児教育。
誰かに何か(心や力)を注げる器量はなく、まるで自分探しの延長。
もう忘れてしまった子ども時代を疑似体験する過程のように感じていた。
そして。
保育園という職場で、生まれたままの個性に対峙するチャンスを得た。
『あぁ、生まれる前から個性は備わっているんだな。』
当たり前なのに知らないこと。
もう記憶に残っていない温度。
『大人』になる過程で無理矢理削ぎ落とした真実。
なぜ、それらを忘れなければならなかったのか?
それは多分、『期待に応えるため』。
親は多くの場合、良かれと思い子どもにプレッシャーを与える。
生まれ出たとき、子どもは親がとても好きだ。
この人に笑ってもらうためならなんでも頑張ってみようと思う。
人間はそういうふうに出来ているらしい。
その小さな日々の積み重ねで、子どもは自信を身に付け、
親は更に大きな期待で激励する。
私は、自分のすることに自信がなかった。
社会的に非難されやしないかとヒヤヒヤしながら、100点の行動を心掛けるのが常。
おかげで社会性というものは人並み以上に育ったのかもしれない。
これには感謝しておこう。
が。
いつでもキチンとしないと『気が済まない』自分に気づく。
それが面倒くさい。
その頃、一冊の本に出会った。
タイトルなどはもうずっと前に忘れてしまったその本には、
誰かに見られているような『気が済まない』気持ちは、
『自分自身の心』にではなく『親の影』に端を発している。
誰かに見張られているような気がするなら、思い切って振り返ってみよ!
そして、見えない影に『ウルサイ!!放っといてくれっ!!』と叫んでみよ!
...といった意味ことが書かれていた。で、私も実行してみた。
うん、なかなかイイゾ!
影はマボロシ。役割期待の残像なんだ。
もう随分前、宮沢リエさんがTVのインタビューで語っていたことがあった。
あの、当時話題騒然の写真集を出版したあたり。
『ビックリしました!これからは、どんな活動を目指しますか?』
というようなインタビュアーの問いに
『みなさんの期待をイイ意味で裏切り続けてゆきたいです!(^^)』
...完敗。脱帽!あっぱれ!!
10代の女の子が発するメッセージだとは思えなかった。
ヒトの期待なんて裏切るためにあるのだ。
だって、それは決して『私自身』じゃない。
やるならいっそ、思いっきり期待の裏をかいて『一本トラレタ』と言わせてみよう!!
その裏切り方に『私』が現れるのだと思う。,,,本当の私が。
大人になると、期待された影なのか、自身の性分なのか境目が分からなくなる。
そんな時は立ち止まって、星空を見よう。
ウルサイモノにはウルサイと言い、好きなモノを好きと言える自分になるために。
今日あたり、大接近した火星が言う。
『戦え、闘え、自分になれ!』
実は本日から木星の影響が強くなり、穏やかに時も動くらしい♪
私もまた裏切り方の策を練るとしよう。