12/15 なぜだか富士山を見ると・・・

 

短い日記を書いた日(12/8)、私は初めて浜松の街に降り立った。
長く入院している伯母を見舞うため。

私は高校3年生の頃、ちょっと学校に近いその伯母の家に下宿させてもらっていた。
その前の冬、交通事故に遭い全身打撲となった。
自転車と共に宙を舞い、自転車は大破したのに、奇跡的に外傷はかすり傷のみ。
入院もせず返されたが、後遺症からか長く自律神経失調症に悩まされた。その頃。

伯母は2年ほど前、突然心臓の発作で倒れた。
この離れた浜松の病院に移ったのは、伯母の長男(私の従兄)が勤めているため。
伯母は数ヶ月意識不明だった。
喉も切開して一時は内臓を摘出保管していた。

それが。
その日、伯母は歩いていた!
病院の廊下をいつもなら自分が座っている車椅子を押しリハビリしていた。
私たち(兵庫から訪れた母も一緒だった)を驚ろかそうとしたらしい。
無論、術中にハマッタ。(・o・)

それから少し話せるようなった声をきかせてくれた。
従兄の奥さんである従姉が、本当に献身的にあたたかく付き添って励まし続けて
ていてくれた。
失礼かもしれないが、2人はとても仲良く、チャーミングでかわいらしく映った。(*^^*)

その後、病院の屋上へ行ってみた。
伯母は初めてその場に上るという。
7階にあたるそこからは、眼下に遥か先まで平野が広がる。

遠くの山の向こうに小さく富士山が見えた。
♪あたまを雲の上に出し・・・
歌のとおりだった。
浜松特有だという強い強い風の中、『寒くない』と伯母が云うので、
もうかなり冷たくなったその風に、しばらく私たちは吹かれていた。

伯母の明るい新年を予感させるような、
凛々とした景色だった。

そんな、奇跡的な回復に背中を押されるように母と私と娘(女3代!)は、清々しい
気持ちで新幹線に乗った。

往きには雲の中だった富士山が、はっきりと夕陽に染まってそこに居た。
思わず、向い側の窓に向けてシャッターを切った私。デジカメだから失敗かどうかは
すぐに確認できるが、念のため3枚撮っておいた。(^^;)
外気の加減かオレンジというよりピンクにみえた。

いろんなものに護られている。
我知らず、『幸運』『強運』『ラッキー』『ハッピー』・・・と頭の中で文字が踊った。

風水的な来年のラッキーカラーは『ピンク』『ゴールド』『ベージュ』だそう。
新しい年、みんなに優しい風が吹きますように。

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